子どもたちと墨を継ぐ

1400年の歴史を持つ伝統工芸品「固形墨」を受け継ぐ使命を担うべく、錦光園は様々な活動を行っています。 その中で目にした、子どもたちが墨に触れた時のイキイキとした姿。子どもたちが墨について“より深く知る機会を作る”こと、“体感する時間を提供すること”の可能性を強く感じてきました。 これからは錦光園が、子どもたちの「墨を擦る記憶」を作っていきたいと思っています。未来の日本を作る子どもたちに、固形墨の歴史を継いでもらうために。 https://kinkoen.jp/kodomo-sumi/

小学3年生と担任の先生が教えてくれた、大人のありかた|横浜市立矢向小学校

親が子供の可能性を奪っていないだろうか?

 

日々の忙しさや気分により、我が子の興味や疑問を後回しにしてしまった時、自分自身ふとそう思うことがある。子供が本当に知りたかったことや興味が沸いたことに対し、親や周りの大人が応えない時、子供の可能性が一つそこで終わると思うのは自分だけだろうか。

偶然、ご縁があったとある小学校の生徒達と担任の先生から気づかされたこと。それは一人の大人としてはもちろん、子供を持つ親としての「責任の大きさ」だった。

 

生徒がくれた1本の電話から始まった

 

「墨について、授業で私教えて欲しいんです」。

 

自分のもとに電話がかかってきたのは202011月初旬。電話の相手先は、横浜市立矢向小学校34組の生徒。小学生ながらしっかりとした受け答えだったが、電話の後ろにいる先生らしき人物に小声で都度確認している声が聞こえており、電話越しで緊張しているのが分かった。聞けば、3年生になって書写の授業が始まる際、書道セットの中に入っている黒い物体(=墨)を見て「これは何だ?」とクラス中の生徒達がみな興味を持ったそうだ。

 

どこかで教えてくれる人はいないかと、担任の小川央先生が調べ、『錦光園』を生徒達に紹介し、クラス代表の生徒が自ら連絡をしてきてくれた。この電話から数か月に及ぶ、生徒たちと先生と『錦光園』とのやりとりが始まった。

 

 

生徒達の本格的な墨作り

 

電話を受けて、早速11月末にオンラインを通して墨作りに関する授業を始めた。『錦光園』は日頃より対面式の授業は行っているものの、オンラインでの学校授業は初めての経験。工房内の通信準備はもちろん、小川先生と事前に打ち合わせやテストを重ね、なんとか当日に臨むことができた。

 

そしていよいよ本番当日。授業は墨の簡単な歴史の話から始まり、墨の材料の説明、墨の製造実演。製造の様子をモニター越しで伝えながら口頭で説明するのは一苦労。かつ別に用意したモニターで生徒達の反応を見ながらで不安もあったが、ひとまず問題なく終えることができた。授業の最後はひと通りの話をした上で質疑応答の時間を取った。

 

通常であればこのような授業の後、生徒達は納得してそれで終わりなのだが、34組の生徒達は一味違っていた。墨作りの授業を通して、強い興味を持ってくれたのもあるが、「墨を自分達で作りたい」と言い出したのだ。小川先生からも「生徒達のバックアップをしてあげたいので、引き続きアドバイスが欲しい」との申し出があった。

 

そこから授業での話をもとに34組の墨作りが始まった。墨屋では、ほとんどの材料を専門業者から仕入れ、その材料を用いて自社内で製造している。しかし、生徒達はなんと「材料そのものを作る工程」から始めた。

 

まずは墨の主原料となる煤(すす)作りから。服が汚れてもいいよう、墨作りの日は全員が黒色の服を着て登校した。まず油をグランドの片隅で実際に燃やし煤を採取した。その後は、墨のもう一つの主材料である溶かした膠と混ぜあわせ、揉みこみ、生墨を作っていく工程。本来の製法であれば煤と膠を、撹拌機を使用して混ぜていく。ただ撹拌機は学校にはあるわけもなく、生徒達は代用でビニール袋の中に二つの材料を入れ自分達で揉み込みながら混ぜた。それらの工夫を重ねつつ、本来の墨作りさながらの工程を踏んでいった。

 

とはいえ、当然のことながら最初から上手くできるわけはなく、時間を要した。最終的に墨が完成したのは、小学3年生修了の2月頃。その間、23か月に渡り、複数回オンラインでの質疑応答を繰り返し、試行錯誤していった。終盤はこちらがアドバイスする前に生徒達が自ら話し合い、材料の配合など決めて試作するなど、学3年生ながらも驚くべき自主性を見せてくれた。

 

彼らの圧倒的な行動力と興味に対する探究心に、講師だった自分が一番驚かされたのは言うまでもない。もう一つ印象深かったのが、彼らの行動を止めることなく、見守りながらもフォローし続けた小川先生。ここまで生徒に付き添いながら、一緒に活動に取り組む先生を見た経験が自分には無かった。興味がそそられ、小川先生に話を聞いてみることにした。

 

 

「自分も子供達と一緒に楽しみたい」という先生

 

小川先生はもともと教師になるつもりはなく、一般企業への就職が決まっていたそうだ。そんな中、大学のゼミで小学生の子供達に触れる機会があり、彼らの笑い声を聞いた時、「こんな笑い声がある職場なんて他にないな」と思ったのだそう。その後、決まっていた就職も取りやめ、勉強をしなおして小学校の教師になった。

 

小川先生が子供の時、関わってきた先生達はみな良い先生だったそうだが、それ以上に、母親が保育士で「子供と関わるのが楽しい」と家でよく話してくれたのが、現在の仕事に少なからず影響している。

 

そして2020年度は、横浜市立矢向小学校の34組を受け持つ教師に。今回の講師依頼先は、小川先生が事前に見当こそある程度つけたものの、その後の『錦光園』への電話依頼など、やりとりは全て生徒達に任せた。子供達の自主性を掻き立てつつも、自分達で学習を進めていく達成感を味わってもらうことが狙いだ。

 

小川先生の期待に見事に応えるように、34組の生徒が自分の墨作りに取り組んでいったのは前述の通り。

 

そんな小川先生が常々思っていることは「自分も子供達と一緒に楽しみたい」。余談ではあるが、校長先生からの小川先生評は「いいクラスを作る」だそうだ。生徒達と一緒に真っ黒に汚れながらも、大騒ぎしながらグランドの片隅で墨作りを楽しんでいる小川先生。そんな姿を校長先生が見続けてきた本音なのだろう。

 

後日談になるが、小学3年生修了の際に小川先生は生徒達から寄せ書きをプレゼントされた。その寄せ書きに書かれていた「一緒に墨を作らせてくれてありがとう」という生徒からのメッセージが、本当に嬉しかったそうだ。

 

 

おわりに

 

最初は第三者的な立場で関わった自分も、子供や先生の姿に触れ、彼らの関係性にのめり込んでいってしまった。好奇心の塊のような子供達。そして生徒達と一緒に楽しみながら、その好奇心に応える環境を全力で整えていった先生。

 

子供が本当に興味を持ったことに対し、大人が丁寧に、誠実に、応えていくだけで、あとは子供が自然に成長していく。その一連の様を、34組の生徒達と小川先生にまざまざと見せつけられた。

 

子供の可能性をトコトン引き出すことが出来るのは、近くにいる大人だ。大人が子供の成長に与える責任は大きい。ましてや子供の一番近くにいる親の責任は、とてつもないだろう。今回、子供を持つ親として、本当に勉強させられる機会を与えてもらったと心底感謝している。

余談ではあるが、最後の授業から2か月後、自分の手元には生徒達が作った小さな墨が届けられた。見た目が不格好で、表面は少しガタガタしている小さな墨。ただこの墨には生徒達の好奇心や創意工夫、努力やクラスのチームワーク、全てが詰まっている。生徒達がどのようにこの墨を作り上げたか、それを想像しただけでただただ笑みがこぼれてくる。

 

今回は、コロナ禍による状況から彼らと直接会うことは叶わず、オンラインだけのやりとりで終わってしまった。いつか収束した際には、一回りも二回りも成長した生徒達、そして小川先生に会いに行こうーー。それを今、楽しみにしている。

 

 

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