七代目の挑戦

所感

現代における墨とは余裕と必須の狭間にあるもの

 

昔は必須で無くてはならないもの。

今は余裕がある時、人、趣味、好みで。

 

今は必須ではないから無理に使う必要はない。

ただしそういう人達に対して、少しでも使ってもらい底を広げるしか先はない。

何故なら若い方達はもはや学校では使わないから。

そういう人達に対して、いきなり「墨を使って下さい」はあまりに乱暴すぎるし難易度も高い。

 

だからこそ、まずは興味を持ってもらう事から始める必要があると思う。

自分が考えるその手段は、しっかり情報を伝えること。だからこそ、全ての活動の根源にそれがある。

 

 墨の業界に限らず、日本古来からの工芸産業は同じようなテーマが絶えずあると個人的には思う。

 それが、昔は世の中に必須であったが、今はそうではなく、余裕がある人(好きな人)だけが使用する、楽しむものになり、便利なものに代用されるようになった。

 墨は日本の歴史そのものを紡いできた、凄まじく重要なものでありながら、現代では代用されるものがある為、その存在はどんどん無くなってきている。

 

ただ墨は記録材としての表向きの用途以外にも、もう一つ大きな日本人のDNAとも言うべき精神性が宿っていると考える。

 

それが書道における墨を擦る時間。

 

歴史的にいっても仏教による鎮護国家であった日本が古来より寺社で墨を擦り、写経を行ったのは、その行為自体が功徳を詰む行為であった為で、同時に精神の統一を図る行為にも繋がったはず。

 

その行為は、日本人のDNAに記されてるからこそ、書道がその精神性を表す際たる例として、行為とし、戦後、日本の精神性を弱体化させようと考えたGHQに廃止され、10年近く最後まで復活を許されなかった。

 

そしてまだ現代でも墨は細々と生き残っている。

 

日本人の精神性、DNAの奥底にはまだ墨を擦る余地があると信じています。

自分はそれに再び訴えかけようと思っています。

 

その為に、ただ一職人として、作るだけの活動に留まらずに動きたい。

将来はどうなるかは分からないが、自分の代でやれる事を精一杯やりたい。

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