墨の手引き
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錦光園では1人でも多くの方に墨のことを知って欲しいという願いから、墨の魅力を中心に墨の楽しみ方をお伝えしています。一部、墨の扱い方なども記載はしていますが、敢えてあまり専門的には記載していません。世の中には沢山の墨に関する素晴らしい資料や手引書があります。墨を扱われる中で、より興味を持たれ、より深く墨のことをお知りになりたい方は是非そちらをご覧になってください。簡単ではございますが、ここでの内容を通して、墨の魅力の一端に触れ、皆様に気軽に墨に触れて頂けるきっかけになれば幸いです。墨を磨られる前に、まずはこの「墨の楽しみ方」をご一読頂けると幸いです。
墨を磨る
墨を磨るということ
中国から伝わった墨は、古来より役所の筆記材としてはもとより、仏教による鎮護国家である日本において、お寺のお坊さん達が仏様に功徳を積む行為として盛んに写経を行うなど、大変重宝されていました。そういった歴史背景もありつつ、無心で墨を磨る時間は、気持ちを静め、心を整え、精神統一にもつながると言われており、最近では写経が流行にもなっています。またその文化は日本国内はもとより今日では世界にも広がりを見せています。
墨の磨り方
「墨を磨るは病夫の如く」と言われているほど、墨を磨る際は手の力を抜き磨るのが良いとされています。
ここでは基本的な墨の磨り方をお伝えします。
①硯の陸にごく少量の水を落とす。
②墨を斜めに傾け、水が落とされた硯の陸に墨の角をそっと置き、前後もしくは円状にゆっくりと墨を磨る。
③墨液が多くなってくれば硯の海に落とし、磨墨を繰り返す。
墨の魅力
唯一無二の表現力
「基線」や「にじみ」、「かすれ」や「色の濃淡」など、墨で書かれた文字は、墨汁や他の筆記材で決して見る事の出来ない唯一無二の表現力を持っています。
その表現力の豊かさから様々な用途や場面で使われます。また、紙の質や水などの条件によっても当然異なってきますが、墨自体も製造してから時間が経過する過程の中でその表現力が変化していきます。
墨によって、書き手によって、なお一層その表現が一変する古来より日本に続く「究極の筆記材」。それが墨の奥深さたる所以なのです。
墨の美しさ
墨は「書く」為だけの筆記材にあらず、その表面には見た目ににも木目細かい模様が施され、美的調度品としても扱われます。これらの模様は墨をつくる際に用いられる専用の木型によるもの。原材料を混ぜ合わせた生の墨を表面に模様の彫られた木型の中に入れ、形を整形すると同時に表面に素晴らしい模様が写し出されます。その模様は木の表面わずか0.1mmにも満たない深さを職人の手作業のみで彫られているのです。
墨型彫刻師 中村雅峯
日本で1人、最後の「墨型彫刻師」
奈良墨の製造において、1番最初に職人の技が必要になる工程。それは「墨型」です。主に梨の木でつくられるので「木型」とも言われています。
墨づくりに欠かせない専用の木型を製作する、専門の墨型彫刻師である中村雅峯さん。「奈良墨のひと」記念すべき第1回目はこの方のご紹介から始まります。
また、墨は元々中国が発祥ということもあり、墨の表面には大陸由来の漢詩や文字、人物画や空想上の動物画などが描かれている事が多いです。縁起の良いとされる「龍」の絵柄などは墨の表面の模様においては非常にポピュラーな図柄です。その他にも墨はその時代時代の世相を表す言葉や図柄などが写し出される事も多く、見た目の美しさだけに留まらない、時代や歴史を残す大変貴重な存在でもあるのです。
墨の香り
墨は他に類をみない、独特のかぐわしい香りを纏った極めて特殊な工芸品です。墨の香りのもとになるのは、製造の際に原材料として投入される「龍脳(りゅうのう)」と呼ばれる東南アジア由来の香料です。最近では天然の龍脳が入手困難な状況になりつつある為、同じ成分である「樟脳「しょうのう)」で代用されることもあります。
墨を磨った際に発する香りは心を落ち着け、ふと昔を思い出させてくれます。自身がその香りに纏われるだけでなく、筆記具として文字だけでは伝わらない想いを奥行きのある香りで相手に届ける、どこか懐かしい香りのする「奈良の香る工芸品」。そんな墨の香りを是非お楽しみください。
墨のあれこれ
墨で遊ぶ
墨はその表現力の高さ、そして味わい深さから様々な用途や作品などにも使えます。墨を磨って書く事に何の制限もあるわけではなく、あくまでもどのように使うかはその方の自由です。ただし、墨を使って「書く」以外にも古来より、墨には面白い使い方があります。その1つが「墨流し」。海外では「マーブリング」とも言われる手法ですが、「墨流し」は1000年近く伝わる、歴とした日本古来からの伝統技術です。ここでは簡単な墨流しの方法をお伝えします。お子様でも簡単に出来ますので、親御さんとご一緒に是非ご家庭でも試してみてください。
①墨を磨り墨液をつくる
②パレットに水を適量入れる
③筆(割りばしでも可)の先端に墨液をつけ水の表面にそっとつける
④爪楊枝の先に油(薄めた家庭用洗剤でも可)を付け、広がった墨液の中心につける
⑤中心部分に対し③・④を繰り返す
⑥割りばしで静かに水の表面をかき混ぜる(低い位置から息を軽く吹きかける等でも可)
⑦紙(はがき等でも可)を水の表面に載せ、ゆっくりと取り出す
⑧取り出した紙を乾かして完成
墨の落とし方
「子供の服についた墨液が取れない」よく聞く親御さんの声。服についた墨液を取るのは親御さんの悩みの種です。お子さんに限った事ではありませんが、安心して書道や習字を楽しんで頂く為に、ここでは墨の落とし方の一部をご紹介いたします。
墨の材料である煤。墨の粒子はその煤の粒子の周りに膠が覆われて形成されています。本来、煤は水に馴染まず分離します。しかし、その煤の周りをコーティングする動物性の膠があるため、水にも馴染み、この粒子が服の繊維の中に入り込み固まってしまうのが中々落ちにくい原因につながります。
ただし墨づくりの職人さんの手は作業中、肌色が見えないくらいに真っ黒になりますが、作業を終えて洗った後は綺麗になっています。これをは材料の膠のたんぱく質を分解する酵素をもつあるもののおかげなのですが、それは一般的にはあまり入手出来るものではないので先に挙げた方法を一度試してみてください。
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固形石鹸
墨を落とす王道とも言える石鹸。軽くぬるま湯につけながら、石鹸で擦りながら、繊維を傷めない程度でブラシなどで擦るとかなり落ちます。洗剤等と合わせても構いません。
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家庭用洗剤
洗剤の中にはタンパク質の分解酵素が含まれています。膠は動物性タンパク質のかたまりなので、そのタンパク質を分解する洗剤用液も墨液を落とす有効な手段です。
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ごはん粒
こちらも巷でよく言われる墨液の落とし方。少量のごはん粒を墨液の汚れに塗り込み擦っていくと、ごはん粒の中にあるデンプンが墨の粒子を吸収していってくれます。真っ黒になれば洗い落とし、同様の作業を続けていくと墨液の汚れは落ちていきます。仕上げにはやはり石鹸や洗剤を使えば良いでしょう。
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生姜のしぼり汁
実はあまり知られていないこの方法。生姜にはタンパク質を多く含むお肉を柔らかくするタンパク質の分解酵素が含まれています。その酵素により膠が分解されることで墨液の汚れを落としていきます。墨液の汚れ箇所を少し生姜液に馴染ませ擦るだけでもかなり墨液が取れます。ただし漬け込み過ぎると色味がついてしまうので注意が必要なのと、当然のことながらその後の洗濯が必要です。個人的には「生姜のしぼり汁+石鹸」の組み合わせで擦った際が一番汚れが落ちたと思いました。
ただ個人的にはもしそれで服やその他の場所に付着した墨液が取れなかったとしてもそれはそれで習字や書道の思い出になっていいのではと思います。何せ、実際に墨は1000年以上、消えずに今も残っているのですから。
墨の保管方法
墨の保管方法として、使用し終えた墨は墨液に浸かった部分をしっかり拭き取り書道箱の中や桐箱の中に保管して下さい。肝心なのは直射日光が当たる場所は高温多湿の場所を避けることです。墨はつくり終え、皆様のお手元に届いた後も、内部で空気の入れ替えをしています。長い長い歳月をかけ、徐々に墨の中ある水分が蒸発していく中で、墨が徐々に枯れていき、色あいなどに変化をもたらしていきます。ただし直射日光や高温多湿の場所に放置していると急激に墨が乾燥してしまい、ひび割れを起こす原因に繋がりますのでくれぐれも保管容器だけでなく、保管場所にもお気をつけ下さい。
日本でも伝統的に様々な場面で使用される桐材は、外部からの湿気を防ぎ、適度に空気の入れ替えも行う上に防虫効果もあります。墨の保管箱として大変重宝されているのはそういった理由なのです。