日本画家 杉本洋

膠(にかわ)とともに、地域活性の未来を描く

日本画家 杉本 洋(すぎもと ひろし)

今回ご紹介するのは、奈良県五條市にアトリエを持つ杉本さん。

日本画家でありながら、絵画の画材としてはもちろん、固形墨の原料として使われる膠(にかわ)を、仲間の方々と共に古典的な製法でひとつひとつ手作りしています。
杉本さんのすごいところは、膠の製造だけにとどまらず、20年、30年先の未来を見据えてアグレッシブに活動されている点。
その背景にはどんな考えがあるのか、杉本さんにお話を聞きました。

杉本洋さん

固形墨の原料は、煤(すす)、膠(にかわ)、香料の3つのみ。
みなさんは、その中のひとつである膠がどういうものか、パッと頭に浮かびますか?

一般的になかなか目にする機会がない素材だけに、「なんとなく聞いたことはあるけど、具体的には分からない・・・」という方が多いと思います。

膠って、何?

膠(にかわ)

膠とは、動物性のゼラチンのこと。
ゼラチンというと、ゼリーなどのお菓子作りでお馴染みの素材ですね。

実は、ゼラチンと膠は、原料や主成分は同じ。動物の皮などを長時間煮込み、そのコラーゲンが抽出された液を固めて作ります。日本では食用のものをゼラチン、工業用のものを膠と呼ぶそうです。

膠は主に、接着剤の用途で使われます。
固形墨の場合は、粉末の煤を固める役割や、煤を紙の繊維に接着させる役割を果たしています。

墨を磨る

膠はほかにも、文化財や楽器の修復など、さまざまな用途で使われています。

そんな膠に着目し、墨の未来、日本画の未来・・・ひいては町の未来まで考えて活動されているのが、今回お話をお伺いした、日本画家の杉本 洋さんです。

危機的な状況にある、膠

もともと日本画は、顔料の粉や煤などを膠に混ぜて描く芸術です。
そのため、膠は日本画にとって欠かせない存在だと言えます。ところが、昔ながらの手仕事で作る国内生産の膠は、下降の一途をたどっているのです。

「あるとき、膠を作っていた最後の職人さんが廃業され、伝統的な膠が日本からなくなるんじゃないかという深刻な危機に襲われたときがありました」と語ってくれた杉本さん。

何十年も前に買った膠を細々と使いながら、「このまま膠がなくなったらどうなるんだろう」と考えるようになったそう。

杉本洋さんと対談

そんななか、奈良県五條市で鳥獣害対策として捕獲した鹿をジビエに活用しているという話を耳にします。

「でも、活用しているのは肉だけで、鹿の皮は税金を使って焼却処分してるっていうから、『それならください』って言いに行ったんです。その皮を使って、薬品を使わない昔ながらの製法で実験的に膠を作ってみよう、と」

ピュアな膠作りにこだわって

大和鹿皮膠

こちらの画像にある「大和鹿皮膠」が、杉本さん達が手掛ける膠です。
膠の色が透明に近ければ近いほど、顔料の発色がきれいに出ると言われています。

「墨に関しても、煤の粒子とくっつく膠がピュアであればあるほど、墨の濃淡の色あいやツヤの具合が良くなるんですよ」と杉本さん。

そのため、膠作りには薬品を使わず、自然のものだけで作るよう徹底的にこだわっているそう。

「薬品を少しでも使うと、やっぱり何らかの影響を及ぼす可能性があるんでね。膠作りに使う水も、何百年前の水が湧いてる、金剛山系の井戸水を使っています。造り酒屋さんが酒の仕込みに使うのと同じ水です」と杉本さん。

良質な膠を作る製造工程

ここからは、膠の製造工程を見ていきましょう。

脱毛する前の鹿皮

こちらは脱毛する前の鹿皮そのままの状態

脱毛した鹿の原皮

脱毛した鹿の原皮

こちらは脱毛した鹿の原皮を、風通しの良い場所で乾燥させているところです。

1日水に浸けてやわらかい状態にする

切り落としと洗浄作業

切り落としと洗浄作業

乾いた原皮を1日水に浸けてやわらかい状態にし、色がついているところや不純物などをすべてハサミで切り落とし、キレイに洗浄していきます。これがとても大変な作業。

長時間煮込んでろ過、冷却作業

洗浄した原皮を長時間煮込んでいくと、コンソメみたいな状態に。それをろ過して型に流し込み、冷却します。

凝固した膠

凝固した膠

凝固した膠を、棒状に切断していきます。

自然乾燥させて完成

切断後に、自然乾燥させて完成です。ここでも人工的に乾燥させる手段はとらず、太陽の光でじっくりと乾燥させていくのが杉本さん達のやり方です。

自分も水で戻した原皮を綺麗にする作業を少し手伝わせて頂きましたが、本当に地道で気の遠くなる作業でした。

皮を1枚1枚冷水で流しつつ、ほんの少しの残った毛を包丁で削いでいき、徹底的に綺麗な状態にしてから細かく鋏で切っていきます。

ピュアな膠は手間暇を惜しまない杉本さんや仲間の方々の忍耐力の賜物です。

まだまだ事業が始まったばかりで場所や設備など環境面でも大変ご苦労なされている上での作業は本当に頭の下がる思いでした。

ピュアな膠作りへのこだわり

国が認める事業に

今まで、鹿の肉、ジビエに対しては国の農林水産省が交付金を出していましたが、皮にはつきませんでした。

「クジラは、肉だけじゃなくヒゲまで捨てることなく全部使うっていうのが日本の文化だったのに。鹿の皮は捨てるって(笑)」

杉本洋さん

杉本さんが訴えた結果、なんと法制が変わり、鹿の皮にも交付金がつくことに!

「コンソーシアム事業っていってね。自治体と、膠を作る業者、販売する業者の3つがトライアングルになった事業体には国が交付金を出してくれる。僕らの活動を、やっと国が認めてくれました」

固形墨の未来

錦光園では、杉本さん達が作る「大和鹿皮膠」を使って、固形墨「天鹿(てんろく)」を製造しています(2023年の秋ごろに販売予定です)。

いわずもがな、杉本さん達による手作りの純粋な鹿膠で造った「とっておきの墨」。

杉本さん達が労苦を問わず作った鹿膠を使い、責任をもって墨づくりを行いましたが、使って頂いた方々に喜んでもらえるか、その反応に内心ドキドキしています。

  • 固形墨「天鹿(てんろく)」
  • 固形墨「天鹿(てんろく)」

しかし正直なところ、固形墨はいま、書道業界でも厳しい立場に置かれています。みんなが墨汁を使い、固形墨を磨(す)って使う人がどんどんいなくなっているのです。

「書道の世界も変わりましたね。昔の“良い書”っていうのは、じっくり時間をかけて固形墨を磨って、その間にいろいろ考えながらやるもんだったけど。今は、パパパッと何枚も何枚も書いて、そのなかでどれが良いか選ぶっていう。時間の効率を重視する時代になっちゃった」

そんな現状に対して、杉本さんは警鐘を鳴らします。

余談にはなりますが、今回作った「大和鹿膠墨『天鹿』」が固形墨の将来に対し、ほんの少しでも役に立てることを切に願っています。

乾燥中の「天鹿」

写真は乾燥中の「天鹿」、静かにその時を待ちます。

文化財を後世に残す、膠の大切な役目

ここまでは膠と固形墨を中心にお話してきましたが、膠はほかにも、さまざまな用途で使われています。特に注目してほしいのが、文化財の修理・修復に使われる点です。

「お寺の襖、掛け軸、屏風といった、国宝や重要文化財を直すのにも膠を使うんですよ」

杉本洋さんと対談

例えば、1000年前に作られた文化財には、当然現代の接着剤は使われておらず、昔ながらの膠が接着剤として使用されています。

それを、現代の接着剤で直せるかといったら、直せません。なぜなら、現代の接着剤が1000年後にどうなっているか、誰にも分からないからです。直したところだけ、色が変わってしまう可能性もあるし、そこだけ早く劣化してしまう可能性もある。

「1000年前に作られたものは、1000年前に近い原材料で直さないといけません」と杉本さん。

濡らすと剥がせる、膠の特性

また、膠は楽器の修理、能面や日本人形の頭の製作などにも使われています。それには膠の“ある特性”が、関係しているそう。

「実は、膠って水溶性の接着剤なので、濡らすと剥がすことができるんです」

膠の特性

つまり、何度も修理を繰り返しながら使う楽器などに最適な接着剤だということ。チェロやバイオリンといった弦楽器をはじめ、日本では琵琶や琴、太鼓などに膠を使うことが多いとか。

天然素材を使った品質の良い膠がなければ、こういった修理・修復にも影響が出てしまいます。

五條市全体で描く、未来像

膠をきっかけにして、原材料の生産と、修理・修復の重要性に気付いた杉本さん。この取り組みをさらに広げようと、2019年には『一般社団法人 日本文化資産支援機構』を設立しました。

アクティブに、アグレッシブに動き続ける杉本さんですが、今後はどのような展開を考えているのでしょうか。

「文化財の修理・修復ができるような、センターみたいなのを五條市に作りたいです。五條市は、奈良県の中で一番、関西国際空港に近い場所なんで。海外コレクターのコレクションも引き受けられる」

「そういう活動がだんだん広がっていけば、ここで修復の技術を習得したいっていう人が世界中から訪れるようになる。ここらへんには統廃合で使ってない小学校がたくさんあるんで、そこを宿泊施設と研修所にして、修復士を育成する機関にするんです」と、地域で一丸となって取り組む未来像を熱く語ってくれました。

五條市

「ゆくゆくは五條市が、そういう修復だとか原材料のメッカになればいいなと考えています」

五條市

70歳を超えるご年齢でありながら、20年先、30年先のビジョンを描いて活動する杉本さん。
日本画家でありながら、ビジネスマンでもあり、経営者でもあり、仕組みを作る人でもある。
この視野の広さと多角的な考え方は、ある意味でアーティスティックなものを感じました。

お忙しい中取材にご協力いただき、ありがとうございました。

取材・撮影:2023年7月

「天鹿」は下記公式ストアからご購入頂けます。

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