朱墨職人 木下勝章

現代に生きる職人、その1つの在り方

木下 勝章 (きのした まさあき)

奈良墨のひと、今回ご紹介する方は朱墨職人の木下さん。

木下 勝章(きのした まさあき)

「職人さんって堅物で話しにくい」そんなステレオタイプの職人像をイメージする方もいるかもしれません。
でも職人も当たり前ですが、皆さんそれぞれ違います。もちろん寡黙な方もいれば、寡黙そうに見えてすごくお話が好きな方もいる。
これまで奈良墨の人で奈良墨に携わる職人さん達を取材させていただいてきましたが、みなさんそれぞれ全く違う。奈良墨への想いや、職人になるまでストーリー、これから先の展望、そして働き方。

木下さんにお話をお聞きして、取材させていただき「職人だからこうあるべき」という考え方自体が必要ないのかもと感じさせられました。木下さんは時代の変化に応じて職人としての強みとご自身の強みを融合させて事業をされている柔軟な職人さんです。

朱墨って?

墨といえば思い浮かべるのは黒色の墨。墨=黒と思われる方もいるかもしれません。ですが、実は色々な色の墨があります。

黒だけでなく、赤・青・白etc..
その中でも木下さんが特化されている墨が朱墨です。

朱墨で思い浮かべるものといえば、学校で先生が添削用で使っていた墨の色なんていう方もいるのではないでしょうか。
そう、その朱墨です。

お聞きしていると朱系の墨でも、朱やベンガラなどいくつか種類があるそうです。

木下さんは長い間職人として朱墨を手がけられています。
朱墨の用途は添削や訂正用の他に、落款(らっかん/作家が自身の作品などに押印する印)を制作する篆刻(てんこく/落款など印を制作すること)や、絵画などに使用されたりします。

このように印影を彫る面に朱墨を塗り、黒い墨で鏡文字を書き、印をイメージしながら彫刻していくようです。

他にも朱の墨ではありませんが、朱墨の製法と近い製造方法になる「朱肉」も長く手がけられております。

朱肉にもいろいろな色があるのですね。

「朱」と木下照僊堂(しょうせんどう)

「朱」色は、幸福を呼ぶ魔除けの色や縁起の良い色として古くから日本人が大切にしてきた色です。鳥居や神社やお祝い事に多用されていることからもわかりますね。

「朱」の原料が高価で希少であることから、明治期以前は朱色や朱肉の使用は一般市民には許されず、上流階級や権力者のみが使用していました。この明治期以前に朱の印が使用できない一般市民は黒肉という黒色の印を押していたそうです。

明治以降一般に朱色や朱肉の使用が許され、朱の解禁とともに明治5年木下照僊堂(きのしたしょうせんどう)を創業されました。木下照僊堂の初代は木下新六さんという朱の第一人者であり、木下勝章さんは初代から数えて六代目の当主ということになられます。

創業から使われている「朱」の文字の看板。

木下さんがおっしゃるには、昭和初期ごろはまだ朱墨を専業とされている職人さんも多くいたそうです。ですが、現在では木下さんの知る限りでは木下照僊堂の他にはもうお一人だけしか残られていないそうです。今や極めて貴重な技術であり、希少な職人さんとなります。

これは時代の流れとして仕方ないのかもしれませんが、書道人口の減少や印鑑文化の衰退も影響しているそうです。

朱墨製造元と墨の製造元

朱墨と私たち錦光園が手がける墨、今回初めて詳しくお話をお聞きしたのですが、かなり製法としては近いことを知りました。
ですが、錦光園は朱墨を手がけることはしませんし、木下照僊堂さんも黒墨は手がけません。これは昔から奈良墨の製造業の間では暗黙の了解のような部分ではありますが、奈良の墨製造産業がこれまで書道人口が減少しつつ、職人も減少しつつも、なんとか存続し続けられてきた理由でもあるのかもしれません。

一見、色が違うだけで製造工程も類似する朱墨と墨。もう少し深くお話をお聞きしていくと少しづつ違いがあることがわかってきました。

材料について

通常、墨には煤(すす)と膠(にかわ)と香料を使用します。対して朱墨でも膠(にかわ)と香料は同じですが、黒の元になる煤ではなく、朱の元になる「赤色硫化第二水銀(本朱/銀朱)」を使用します。

朱は、水銀と硫黄の化合物であり、硫化第二水銀でも赤色のものは古くから顔料に用いられており、「朱(しゅ)」と呼ばれます。

古くは辰砂(しんしゃ)と呼ばれる赤色硫化第二水銀の天然鉱物が各地で産出されていましたが、現在は化学合成で製造された赤色硫化第二水銀が生産されています。
元来、この朱は大変貴重で極めて高価な材料だったそうです。そのため明治以前までは一般市民に朱を使用されることは許されず権力者が独占していたということです。

朱墨の材料である朱は高価なのはもちろん、墨で使用する煤と朱を比較しても朱の必要量は墨のそれよりも多く、他にも様々な理由から高級品となっています。また鉱物であることから本朱は比重が重いため、本物の朱墨は墨よりも大変重いそうです。

製造工程の違い

材料だけでなく製造工程にも違いがありました。
奈良墨のひとで紹介した木型職人(※リンク参照)が手がけるような木型を使い、そこに材料を入れ、しばらくおいて型から取り出す。

ここから乾燥の作業に入るのですが、ここからが違う。墨の場合は、早いもので半年から一年で(それでも長いですが)乾燥すれば商品として一応出すことは可能です。
対して、朱墨はなんと最低3年間乾燥する必要があるそうです!半年や1年で長いと思っていましたが、まだまだ上がいました。

また、朱墨の製造には接着剤の役割をする膠(にかわ)の量がたくさん必要だそうです。そのため水分量も多く乾燥にも時間がかかるということだそうです。
製墨に使われるのは主に動物性の膠、いわゆるゼラチンです。墨は寒い季節(10月〜4月ぐらい)にしか作ることができない理由も膠が要因なのですが、暖かくなると作ると同時に腐っていってしまう、そんなある種不思議な性質をもっています。

朱墨には膠の量が多いということは製造期間もより短く、なんと1月〜3月の3ヶ月間のみ!朱墨は高価になってしまう理由が揃っています。
墨と朱墨、主な工程は類似ですが、材料や製造期間など、少しずつ違っていることがわかりました。錦光園でも製墨をしているがゆえに、木下さんの朱墨作りのご苦労は沁みるほどわかります。

朱の特徴

鉱物由来の顔料を使用している本物の「朱」には特徴があります。
天然鉱物を使用した朱の特徴が最もよく理解していただけるのは先史時代から残るような壁画。こうした壁画には褐色が多く使われていますが、これも大きな枠でいうと朱に使用する原料と同じで鉱物顔料を使用しています。

気の遠くなるような時間が経っても残る褐色の壁画、鉱物由来の顔料を使用する朱墨で書かれたもの描かれたもの、朱墨で押された印は簡単には変色・変質しません。
こうした永く残るという特徴も相まって権力者には重宝されたのだと考えられます。
これは実は墨も同じで、本物の固形墨をすって書かれた書は消えないのです。

正倉院に残る宝物には書も残っていますが、これらの書が現代でも見ることができるのは墨や朱墨の変質しないという特徴だからだと言えます。

「朱」のものづくり

木下照僊堂さんが言われる「朱墨・印朱専門」と言う印朱は朱肉のこと。木下さんの手がけられる、朱の持つ特徴を生かした朱肉は一般的な朱肉とは少し違います。

木下照僊堂の手がけられる朱肉は、一般的な朱肉とは全く違い、押せばわかる「はねない」「紙に収まる」まさに最高級の朱肉です。
一般的な印鑑にはなかなか使用されることはないかもしれませんが、落款や重要な押印などにはこうした質の高い朱肉が使われるそうです。
そんな上質な朱肉にも「特級」「極上」「最上」という階級があり、この中でも特級と最上銀朱では押し心地が違うそうです。もちろん特級でも一般の朱肉とは比べ物にならないそうです。

他にもひとり奈良で朱墨を作られる方はいるそうですが、朱墨・朱印専門として朱屋を名乗るのは木下照僊堂が全国で唯一残るのみ。言い換えれば他の「奈良墨のひと」と同様に本物の朱墨・印朱の文化そのものを一社で支えられているという現状があります。

創業から変わらぬ現場風景

墨の製造に関わる人間が他の墨の製造元に入るということは、有りそうで無くとても珍しいことですが、今回、木下照僊堂さんのご厚意で製造現場に特別にお邪魔させて頂きました。
これまで「奈良墨のひと」でご紹介してきた職人さんたちは、奈良墨の製造における分業体制の別分野の職人さんたちでしたが今回は朱墨といえども同業になるので緊張と大きな興味と楽しみがありました。
錦光園もそうですが、奈良の民家は間口が小さく奥行きが非常に長い、いわゆる鰻の寝床。木下照僊堂さんも非常に奥行きが長くおそらく錦光園以上に長い奥行き。

外から見ると大体普通の家が4軒か5件ぐらいがつながったような奥行き。 しばらく奥に進むと木下さんの仕事場が現れました。その場所は小上がりになっており、まるで現場見学などのために作られたようなとても心地良さそうな部屋になっていました。

製造現場はとても綺麗に整理されており、木下さんのきっちりされた性格を物語るような現場でした。木下照僊堂さんは増築されているとはいえ、基本的には創業の明治5年から変わらないとのこと。

創業から使い続けている木型もあるそうです。どれも数十年使い続けておられます。

朱墨を作られているのであたりまえですが、どれも赤い。どうしても墨の工場と比べてしまうのですが、私たちの現場は真っ黒です。手も道具も全て1日の仕事を終えるころには真っ黒になっています。対して赤く道具や木型はどれも少し可愛く見えるのは私が墨屋だからでしょうか。笑

需要の変化と朱屋を続けるために

前述したように今では朱屋は木下照僊堂1軒のみ(朱墨職人はひとりおられます)、競合はいない状況ですが、それで成り立つ程の需要でもあります。
以前はもっと多くあった朱屋も今では1軒に、落款の篆刻や朱肉の需要はありますが、以前に比べるとどうしても需要は減っている現状です。これは朱墨に限らず、墨も同様です。だからこそこうして奈良墨に関わる職人さんのご紹介もしています。

木下さんとしても墨、朱墨の需要増加に向けて日々様々な取り組みをされておられますが、すぐにV字回復するような簡単な状況ではないことは私自身も身に染みて理解できます。
家業に入られる前、木下さんは塗料メーカーで働かれていたそうです。朱墨の製墨に必要な膠(にかわ)、実はバインダー(接着剤)としての役割もあります。いずれは木下照僊堂を継ぐことを考えられていたなかで、ゆくゆくはここで学んだことを生かすことができると考え家業を継ぐ前に外の会社である塗料メーカーで働かれたそうです。

需要が減少する墨業界、今後も朱屋を続けるため、技術を絶やさないため、白梅糊本舗という屋号で接着剤や糊の製造販売もされておられます。営業マンとしての側面も持つ木下さんは接着剤・糊の営業で全国も飛び回られているそうです。

朱墨を続けるために

朱墨独特の1月〜3月という極端に短い製造期間。他の期間は製造ができない反面ある程度自由が効くという面を活かした、とても合理的な考え方です。
どうりでお話をしていると、生粋の職人さんという感覚ではなかったのですが、接着剤事業のお話をお聞きして腑に落ちました。
今では製造期間以外は、接着剤の仕事をされていることが多いそうで、「伝統あるものづくり」が綺麗事だけでは続かない現実を如実に表していると感じます。

それと同時に木下さんのように、自身の職人としての腕一本で生きていくという従来の職人とは少し異なる形は、副業が一般的になってきている近年、変化の多い職人という仕事を継続していける新しい形なのかもしれないのです。
その点で、家業に入られる前にその先も見据えて自分自身の他の可能性を広げておくという方法は、とても合理的で柔軟な考えだな、と感心させられました。
謙虚であまりご自身のことをお話になられなかった木下さんですが、歴史ある「朱墨・印朱」家業を大事に思うが故に現在の朱墨職人と接着剤メーカー経営者という2本柱の体制に行きつかれたのだと思います。

後継者

そんな木下さん、後継者についてどのようのお考えですか?と質問したところ、「子供もいるけど、専業ではむりかな、他の仕事もするのであれば良い」と言われていました。
ここもとても合理的な木下さんらしいお答えでした。
とはいえ、現在木下さんのお子様ではないですが、職人専業ではなく接着剤事業と兼務する形で技術を承継している職人さんがいらっしゃるそうです。

確かに、どういうかたちであっても最も大事なことは技術やノウハウを途絶えさせないことです。途絶えると復活させることは本当に難しい。継続していれば、時代の変化や需要の変化などで好転することもあるし、商品開発により新たなニーズが生まれる可能性がある。途絶えてしまうと可能性そのものが無くなってしまう。
木下さんの取り組み方は需要減少などで承継が危ぶまれる他のものづくり業界でも参考になる部分があるのかもしれません。

さまざまな職人の在り方

取材の前に想像してい職人像と木下さんは少し違いました。
「自分にはこれしかできないから」と黙々とものづくりに取り組まれる一般的に想像されやすい職人さん。もちろん製墨に携わり職人でもある私にとってもそうした職人さんには憧れます。
ですが、木下さんのような職人さんもある意味ではとても稀有で必要な存在、続けるために自身の強みを活かした戦い方をされる職人さん。

根っこにある目的は実は同じでも表に見える部分が違う。

職人が手がけるものは一見均一に見えますが、手で作る以上はそれぞれに大小違えど個体差はあります。職人さんも同じ職人さんですが、話せば考え方も取り組み方も違う。言い換えれば誰にだって職人を志すことはできるし、ステレオタイプの職人さんにならずに、自分らしい職人になれば良いということかもしれません。

木下照僊堂の木下さん、取材を通して、朱墨作りについて知る貴重な機会になりましたし、同時に職人としての柔軟な考え方を改めて教えていただいたように思います。
ある意味、同業でもあるにもかかわらず、大変貴重な取材のご機会をいただき誠に有難うございました!

お問い合わせはこちら

木下照僊堂(きのしたしょうせんどう)
住所 奈良県奈良市瓦堂町8
TEL 0742(22)2248
Mail info@kinoshitashousendou.co.jp
URL http://www.kinoshitashousendou.co.jp

取材・撮影:2020年9月

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